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配信中のちゅピCOMふれあい作品

2013 宮島水中花火大会

2013年8月11日(日)に行われた、2013宮島水中花火大会の模様をお届けします。世界遺産宮島で開催される夏の風物詩。全国的にも珍しい、水中へ投げ込む水中尺玉(30cm玉)が100発、全体で約5,000発の花火の競演をご覧下さい。

チンチン電車で町めぐり ⑤舟入川口町~江波

江波線舟入川口町電停から江波電停かいわいを歩きます。舟入川口町では、1900年創業の桐原容器工業所で、桐原秀雄会長に60年に撮影した写真などを通して、当時の思い出を聞きました。また、江波地区では、江波を伝える会の中川巧会長(写真)に、旧日本軍の射撃練習場跡に建つ広島電鉄江波車庫の話などを聞きました。

チンチン電車で町めぐり ④舟入町~舟入幸町

広島電鉄の電停周辺を巡り、沿線の魅力を再発見します。今回は、江波線舟入電停から舟入幸町かいわいを歩きます。地域の集会所としてスペースを開放している元ガラス店で、町の遷り変わりを聞きます。また、かつて広島電鉄のレールを留める「くぎ」を生産していた会社も紹介し、経営者の佐伯實さんと佐伯正司さんが、製造方法など往時の思い出を語られます。

チンチン電車で町めぐり ③十日市町~土橋、舟入町

横川線の十日市町電停から江波の土橋、舟入電停をたどります。土橋では、宮島しゃもじを創案した江戸時代の僧侶 誓真の墓がある浄国寺を訪問。舟入町では、古くから火よけの守護として知られる河原町地蔵尊に足を伸ばし、由来について町内会長の野村由一さんに聞きます。

チンチン電車で町めぐり ②寺町~十日市町

広島市中区横川線の寺町電停や十日市電停かいわいを紹介。地元で理髪店を営む善倉さん(=写真右)に、地域の歴史やまちづくりへの思いなどを聞きます。

チンチン電車で町めぐり ①横川駅~別院前

広島電鉄の電停周辺を巡り、沿線の魅力を再発見します。初回は、横川線の発着点となる広島市西区の横川駅電停や中区の別院かいわいで、老舗のおもちゃ店や日本初の国産バスが走った町の歴史、人気のハンバーガー店を紹介します。

2011宮島水中花火大会

テーマ:星瞬きて たゆたう波間 こころ こころに 刻む華華
2011年8月14日(日)に行われた、2011宮島水中花火大会の模様を、全7景すべてお届けします。東日本復興支援花火ではじまった今大会。その他、新しくオープンしたみやじマリンをモチーフにした花火など、見どころ満載でお届けします。

2012宮島水中花火大会

テーマ:千年の 想いめぐりて 大鳥居 浮かぶ波間に きらめくあかり
2012年8月11日(土)に行われた、2012宮島水中花火大会の模様を、全7景すべてお届けします。安芸の守となり、宮島に繁栄をもたらした平清盛の波乱に満ちた人生と、栄枯盛衰の理をこえて伝え綴られた、宮島の遺産の奥深さを紐解く内容です。

広島壊滅

爆心地900メートル 本社全焼
中国新聞は、5月5日に創刊120周年を迎える。読者や地域と歩み支えられ、放送やデジタル分野でも情報を届ける総合メディア企業の営みに取り組む。この間、幾多の苦難があった。

全滅の新聞社 国民儀勇隊

建物疎開 動員直後に惨状
1945年8月6日朝、広島デルタの中心街では、10代前半の学徒や老若男女の国民義勇隊が、国の命令による建物疎開作業に動員されていた。原爆の爆風や熱線、放射線に遮るものもない中さらされた。在広の新聞・通信社員らでつくる「中国新聞社国民義勇隊」は、爆心地の南西約500メートルとなる元安川右岸、現在の平和記念公園の南側に出ていた。全滅した新聞社国民義勇隊を追う。

代行印刷

屍の街歩き 軍無電で依頼
米軍が1945年8月6日に投下した原爆で、広島市上流川町(中区胡町)の中国新聞本社は全焼した。輪転機2台も焼け、外部との通信機能も失う。新聞発行は、壊滅的な打撃を受けた。生き残った人たちは、未曽有の事態に陥った中で、発行再開へと動く。壊滅した広島へ、新聞はいつ、どのように届けられたのか。惨状はどう報じられたのか。戦時下の原爆報道を追い、検証する。

取材者たち

涙ながら向けたレンズ
1945年8月6日を体験した記者やカメラマンらは、直後の惨状をどのように記録したのか。原爆投下で本社が全焼した中国新聞。自社の紙面が発行できなくなった中で、どのような報道に取り組んだのか。救護措置などの声を張り上げて伝えた記者たちの「口伝隊」や、戦争終結で掲載された惨状ルポとは…。被爆しながらも、取材に務めた新聞人たちを追う。

温品印刷

1945年8月6日に本社が全焼した中国新聞。原爆死を免れた社員らは、家族を奪われ、放射線急性障害に襲われながらも、山あいの村へ通う。広島市郊外の温品村(東区)に、1台の輪転機を疎開させていたからだ。送電や通信機能など広島の都市機能が破壊された中で、自力印刷による発行再開に取り組む。被爆地広島からの新聞は、「温品疎開工場」から始まる。

報道と再びの災禍

1945年8月6日の原爆投下で本社が炎上した中国新聞。広島市郊外の温品村(東区)に疎開させていた1台の輪転機を動かし、9月3日付から自力発行を再開する。くしくも同じ3日、米従軍記者団が被爆地に入った。5日後には、米軍の原爆調査団がやって来る。広島は「一切の生物は生息不可能」との風評にもさらされていた。被爆した報道機関は、何を伝えていったのか。日米で始まった原爆報道を検証する。

本社復帰

1945年8月6日の原爆投下で本社が全焼した中国新聞は、代替紙による発行に続き、輪転機を疎開させていた広島市郊外の温品村(東区)で、9月3日付から自力印刷を再開した。被爆地広島から情報を送り始めるが、17日に襲来した枕崎台風で、再び発行停止に陥る。それを機に、上流川町(中区胡町)の全焼した本社への復帰を決断する。再びの災禍にも、新聞人たちは屈することはなかった。

まぼろしの江波焼探偵団

幕末から明治初期にかけて、広島市中区江波地区で作られていたという磁器「江波焼き」。江波焼きをめぐる、地元の人たちの熱い活動をご紹介。

ばあちゃん笑顔でまち元気!

第34回 企画部門優秀賞受賞
空き家を利用して、町を元気にしようと「みんなの元気なお店」をオープンさせたドキュメンタリー。高校生らと交流しながら活動に取り組む半年を追った。

職業けん玉職人

第33回 最優秀賞グランプリ(総務大臣賞受賞)
けん玉発祥の地で、唯一のけん玉職人24歳の岩田和真さんが、地場産業の復活のために、けん玉の製作と普及に取り組む姿を追った作品。

原爆について語り継ぐということ・・・

忘れてはならない原爆の悲劇と戦争の恐ろしさを、後世に残そうと様々な取組みが行われた。「被爆証言 原爆投下の第一報を伝えた少女」など、4本をご紹介。